warcraft IIIchiko
 
warcraft III の blog ですよ :D
 



2004年12月1日を表示

SK.insomnia interview pp.8

Thoughts on E-Sports

周知の通り、今プロゲーミングは人気上昇中だ。それを否定するものはもはや、いない。我々はテレビジョンなどでそれを、ますます見ることができるようになりつつある。
アメリカでも、日々成長している。CNNやMSNBCのような大手のニュース配信会社も、それを認知しはじめた。
ここにくるまで長い道のりがあったが、ようやく認められてきた。ヨーロッパは過去よりも、それに近くなっている。なぜ、韓国はヨーロッパに比べてもさらに認知されているのか。なぜ、そこではそれほど発展したのか、世界のほかの国ではダメなのか?

「韓国ではもっと密接なコミュニティが存在する。なぜなら韓国はたった一つの国だから」とinsomniaは考えている。
「しかしこれはまたプロゲーミングがまだまだ発展する可能性を与えてくれている。なぜなら韓国で、例えば: 一つのスポンサーのチームがあるとして、あるプレイヤーは その会社の潜在的なクライアントとその会社の前だけで"広告"となる。ヨーロッパでは異なり、もっとインターナショナルな企業スポンサーがいる。アメリカではプロゲーミングは今のところ、わずかにヨーロッパより遅れているが、しかしもっと成長するだろう、なぜならUSAはやはり大きな市場だからだ」

それと、ヨーロッパとアメリカでプロゲーミングシーンが抑止されたファクターは?
「僕は最大のファクターはヨーロッパとアメリカにあると思う。人々は共通して、e-sportsシーンについてわずかな知識しか持っていない。韓国ではヨーロッパなどと異なり、より密接した社会があり、容易にポピュラーになりえた。
e-sportsの未来に関して、これがどのような具体的な形をとっているか..だれも予測できない。そしてとにかく、それはもっと想像するよりも面白くなッて僕達を待ち受けているよ」



12月1日(水)21:55 | トラックバック(0) | コメント(2) | warcraft3 | 管理

SK.insomnia interview pp.7

Gaming in Life

前月あたりから、Insomniaは再び100%アクティブレベルに戻り、そして最新の彼の結果を見せてくれた。
彼がゲームに費やし、そして得たものはいったいなんなのだろう?

「ぼくは毎日午後 2-4時に起きて顔を洗い、そして30分から1時間、WEBサイトをチェックしたり前日のreplayをチェックしたり、IRCで時間を潰したりするよ。
それから、朝食をとって、それからゲームをする気が起きるまで、もう少し時間をつぶす。
それから、僕がもうゲームはしたくなーい、と思うまでプレイする。
(ときどき僕はまる1日、飯を食べるための休憩しかはさまずプレイすることもあるし、2ー3ゲームしただけでやめてしまうこともあるよ)
この間に用事があるなら大学にいく(幸いなことにあまり頻繁ではない)。
大学にいくために、もっと早く起きることもあるよ。だから基本的に、友達の顔をみるために外出したり、働いたり(ぼくはelectronic sportsのブルガリア組合で働いてる)しないときは、PCの前で1日を過ごしてるよ。WEBサーフィンしたり、ラダーをプレイしたり、ときどきDotAしたりしてね。で朝4時ぐらいに眠るんだ」
(★訳註:なんて不健康な生活^^

おっと、ちょっとまって!e-sportsのブルガリア組合って何? yeah, ぼくはちょっと驚いてる。BGFES(e-sportsのブルガリア組合の僕が作った略称)はInsomniaとほかのTOP WC3プレイヤ、3wD.420 、この団体の中心的人物、と一緒に自分たちで作ったんだ。この組合は政府から1カ月前ぐらいに公式ライセンスをもらったんだ、つまりブルガリアはヨーロッパ全土で2番目の正式なsportsとしてe-sportsを認めた国なんだ!
「僕らがこれまでやったきたのは、とにかく政府の承認を得ようと頑張ってきたことがほとんどなので、僕らの手元にはまだそんな仕事がないんだ」とZdravkoは説明した。
「翌年は、ぼくらはブルガリアのe-sportsで壮大な計画を建てているよ。もし計画がうまく行ったら、僕らはnational championshipを始められるはずだ(サッカーでやってるようなヤツ)」

このごろ、プロゲーマーの大半は強いプレイヤとなるために、自分のやりたいことをあきらめている。
同じことがInsomniaにもいえる、彼はたくさんの時間を消費していることを知っている。
「君(僕?)はほんとに他のスタッフをするような時間はもってないんだ。けど、人生の間、僕はこれをやめないよ。それで、僕がやめなくてはいけないな..と思った時には、最後には僕が逃していたものを手にしてるはずさ」(★訳註:よーわからんがやり続けるってことらしい)
彼はプロゲーマーであることで、ほかの方法では味わえない経験について、話しにいった。多くの国を訪れ、数えきれないぐらいトーナメントに参加し、もし彼がこの道を選んでいなければ、会えなかったようなたくさんの人々とも出会った。

それから、両親の問題がある。
「最初、両親は1日中僕がゲームをしているのを嬉しく思わなかった」
「すべての親がそうであるように、うちの両親も僕が時間を無駄にしていると思ったよ」
「やがて両親が、プロゲーマーがどんな大きなものであるか理解しはじめた時、僕がプレイすることで実際どれだけお金が稼げるかを知った時、両親の考え方は次のように変わったよ:
私の母 :「テレビを見て時間を無駄にするのはやめなさい! 明日はトーナメントでしょ!」
母は僕にゲームをさせたりとか何とかはしなかった、だって母はぼくをまったくコントロールできてなかったから。今では僕の両親は僕を完全にサポートしてくれてるよ、それにプロゲーマーを一般の職業として考えるようになった」



12月1日(水)21:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | warcraft3 | 管理

SK.May vs 4K.Grubby

WC3M Nov. Finalです。
Grubbyがwinnersブラケットで
負けてしまったので、敗者ブロックで
勝ち残ったMayと再戦することになりました。
Winnersで一度破っているだけに、
Grubby優位の評価が高かったですが、
勝ち残ったのはSK.Mayでした。l

二戦ともなかなか見応えのあるゲームでした。
最初のゲームは
SK.May .. FL + Panda
Grubby .. FS + Naga
Mayが序盤archerだったので、Grubbyは積極的に
押していきます。Mayもかわしながらcreepingし、
tier2に持ち込みます。
tier2でGrubbyがshaman+gruntに編成すると、
Mayはarcher+hunt+dryad+talonです。
序盤の見所はMayがうまくsentry wardと
wispで視界確保し、完全にGrubbyの動きを
把握していたところです。背後を取られたくない
NEでは視界確保は重要です。
途中までは余り激しい戦いはなかったですが、
中盤アイテムショップ前で戦って勝負が動きました。
archerを中心に狙ったGrubbyに対して上手く
ユニット操作してMayはGrubbyのユニットを
削りました。
Mayが攻め込みORCベースでの攻防では、GrubbyがCL+FL(Nagaの電気)でパンダを倒し、撃退に成功します。
この時点で2nd確保のMayに対して、Grubbyは
2ndの破壊に行きますが、予算は当然なくアイテムなし。
ベースを破壊した瞬間にMayの軍とぶつかり、
archer中心+talon+dryadの編成 vs
demolisher * 4 + gruntの編成。
Grubbyはパンダを殺せそうなのでつい狙ってしまいますが、
実際はフェイク。ポーション受け渡して、回復、逆にFSを殺されて終了。

2戦目は
GrubbyはNagaの代わりにTC以外は同じ編成。
May, .. Beast + panda
ユニットはマスハントからarcher, talon, dryadです。
序盤マスハントの定石どおり攻めまくって、Mayが優勢に、そのままユニット差を付けて終了。
TPを買っては消費させられたGrubbyが結局物量差で押し切られました。

全体的には最初のSK.May戦に比べるとちょっと雑かなという印象。
というより、想像以上にパンダの酒でが効いたのか、
押せるところで押せなかった印象があります。

というわけで決勝はSK.May vs SK.Zacardです。
Grubbyとしてはある意味Zacard vs Mayを自分の
NE対策の参考として見て置きたいところでしょう。
というか、僕もどういう風にMayが戦うのか見てみたいところです。
実際のところ、TRを決められなければORCよりNE有利と
個人的にも思っているので、結構興味のある
戦いです。



12月1日(水)05:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | warcraft3 | 管理

SK.insomnia interview pp.6

World Cyber Games 03

Zdravkoのキャリアの中で、最も印象的なイベントは、World Cyber Games 2003、もちろん驚くべきことではないが、だった。
彼はその年のチャンピオンになったのだ。ここで彼にマイクを渡して、全体のストーリーについて詳細に述べてもらおう。
そのイベントの少し前から話は始まる...

「2003年の8月、僕はブルガリアの海辺のホテルに友達と一緒にいた。それでぼくは次のような運命のSMS(ショートメッセージサービス?)を受け取ったんだ。
"ぼくはIntel Koreaと契約することに決めたよ、君は韓国でプロゲーマーになるんだ。3週間以内に君は出発しないといけない"
僕たちはその時、とても疲れてて、ぼくはそれをジョークと思ったんだ。けど次の朝ぼくは番号と、ブルガリアでないカントリーコードをチェックしたんだ。
それはNuke が送ってきたSMSだと気付いて、ぼうは近くのネットカフェでIRCを使って彼と話したんだ。
僕はプロゲーマとして韓国にいくために9月5日に出発して、韓国でOGNチームリーグに僕とDominator, MaDFroG, HeMaNと一緒に参加することになったというこを知ったんだ。
これは次のようなスケジュールになるってことを意味してた:
ぼくとDIDI8が招待されてるトーナメントのためにロシアに出発 8/29
帰国 9/1
ブルガリアWCG予選に参加 9/1〜9/4
韓国に出発 9/5
予選突破できたら開催されるWCGに参加する
すべてがうまくいって、ぼくは WCG予選に勝利することができた。
で、その次の日に韓国に出発したんだ。

こんどはそのイベントについて話すよ。

これは今までにない印象的な大会だったよ。
今年(2004)よりももっと素晴らしかった、けどそれは韓国で開催されたという自然な理由だよ。
最初、ぼくはとても自信があったんだ、WCGはReign of Chaosを選んだからね。もちろんTFTも韓国でプレイしたよ。
韓国ではWCGに参加する韓国プレイヤを除いて、みんなROCをやってなかったから、練習するのが大変だった。
僕の練習の大半はWCGの間にeuropeanがやってきた数日の練習だったよ。
それでイベントが始まったんだ。ぼくは今まで見たことのないような印象的なイベントだった、今でもあれが一番印象的だよ。
WCG2003は以前オリンピックが開催された、ソウルオリンピック公園の内のスポーツホールで開かれたんだ。
公園全体がWCGのために改装され、すべてが素晴らしい雰囲気だった。参加したみんながベストを尽くしていた。で、トーナメントの話へ

グループステージをパスした後、ぼくは自分のブラケットがあまり楽なものでないことを知った。
最初のラウンドはSK.Soulをプレイしないといけなかった、彼と三つの緊迫した戦いの結果、僕は彼を倒した。
次のラウンドはぼくはGrubbyと戦い、再び2ー1で勝った。僕はもう少しで負けるところだったよ。3番目のマップで、僕は自分が負けつつあることに気付いてたけど、あきらめず最後はなんとかして勝ったよ。経験の差で勝負をひっくり返したと思う。

次にPeruvian guyと当たったんだけど、どうして彼が遅れたかは知らないんだけど、何らかの理由で彼は試合が開始されても現れず、1時間半待ったあと不戦勝だった。
僕の次の相手は、TeG-EvisceratorというFatCを倒したプレイヤだった。幸運にもHMN vs NEは僕の得意とする対戦だったので、楽に勝てて、それで僕は最低でも$10,000の権利を手に入れたんだ(決勝進出したので最低でも準優勝賞金ゲット)。

決勝の相手は、ChinaHumanだった。僕は彼をよく知っていて、WCG2001のStarcraftで僕を倒した人だった。
決勝の準備まで二日あったので、プラクティスルームに彼を見に行ったよ。僕はほんとに感心したんだ。激しくHuman playerに感動させられたんだ(とくにその時)。
それでぼくは彼のゲームを注意深く勉強し、練習に二日費やし、どうやったら勝つことができるか考えたんだ。
本当にありがとう、ZeeRaX、彼は二日間僕にとても協力してくれたんだ。僕は彼にChinaHumanと同じ方法をとるか、それとも異なるストラテジを取るか、どちらがベストと思うか尋ねたよ。それで僕は彼の意見を訪ねて、僕達はそれを討論した。それがどんなに僕を助けてくれたか..、僕はファイナルの相手に自信を持つことができたよ。スコア2ー1でファイナルを終えて、ぼくはMr. Bin Guoにリベンジを果たして、ついにチャンピオンになった。

僕が金メダルをうけった時、人生最高!とは言わないけど、最高の瞬間の一つだったよ。僕がここ5年間夢描いていたことはついに叶ったんだ」



12月1日(水)02:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | warcraft3 | 管理


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