warcraft IIIchiko
 
warcraft III の blog ですよ :D
 



2004年11月29日を表示

SK.insomnia interview pp.4

A New Challenge

Insomniaは疑いなく世界でトップクラスのSCプレイヤだった。
しかし間もなくして(soon enough:いい訳が浮かばなかったXq)Blizzardの新しいタイトルがリリースされた。
何かが変わろうとしていた。
Wacraft3のリリースとともに、Starctaftのコミュニティの中にも変化が訪れていた。
新しいゲームに移行しようとする人の流れだ。
Insomniaもその内の一人だった。

「僕はSCを2002年の3月か4月あたりで止めたよ、二つの理由でね。
一つは、トーナメントが開催されなくなったこと。
二つ目は、その年にぼくは重要な大学試験があったから、しばらくの間僕はゲームをやめたかったんだ」
彼のゲームの休息が功を奏し、彼は試験で結果を残し、いい大学に入ることができた。
そして彼は再びゲームの世界に戻ってきた。
「学校に入学したあと、ぼくは夏の間中することがなかったんだ。それでその年の9月ぐらいに、Warcraft3を始めた。ぼくはStarcraftに未来がないことを知ってたし、それにWC3は新しいチャレンジだった。だから僕は自然に移ることができたんだ」

何人かのSCプレイヤはZdravkoがそうしたように、WC3に移行した。しかし、ほかの人たちはそうはしなかった。
Zadravkoはなぜ彼らが移行しなかったか分からなかった。彼はWC3が優れたゲームであることを知っていた。これは彼のSCプレイヤとしての経験からきていた。
「SCはもっとシンプルな戦略ゲームだった。SCでは、fast clickerであることが重要だった。
WC3ではたくさんの改善がみられたよ。(たとえばautocast spell)
よい例としてこれをあげられるね:もし君が選択されたScicence Vessels グループを持っていて、かつirradiateされるのを待っているUltraliskのグループを持っていたとする。
すると君はすべてのVesselesを別々に選択してキャスト命令をださなくてはいけない。
そのほかにも、もし君が全体を選択した状態でキャストさせたら、マナをもったすべてのVesselが選択したユニットにキャストするだろう(つまり複数のユニットがたった一つのユニットに同時にcastしてしまう)。これは単純なオペレーションをするのにたくさんの素早いクリックを必要とするんだ。WC3はSCよりももっと進化してるよ」

彼がSCからWC3へ移行しても、Insomniaのゴールは変化しなかった。彼は今も、可能であろう最強(the best)を目指していた。彼は自らが培ったSCの経験によって、wc3でも同様に活躍できると確信していた。
彼はBlizzardだけがベストクオリティのゲームを作ることができることを知っていた、これはコンスタントなゲームのサポートや素晴らしいゲームの経験も意味する。彼はまたぼくに言った。
「止まることを知らないヨーロッパのプロフェッショナルゲームの舞台にもインスパイアされたんだ」

彼のSCにおける業績が文字通り、彼の大きく開かれた扉を吹き抜けていった。そしてラダーや、いくつかのブルガリアのPC cafeのLAN大会で激しくWC3をプレイした数カ月後、彼はチームを探し始めた。
「ぼくは強くなっていったし、もっと早く強くなりたかった。僕はクランを欲していて、それで僕が最初にやったのは僕の以前のクランリーダーであるNukeに尋ねることだった」
Zdravkoは彼の古いクラン、e-sports united , 彼がBroodWar時代にプレイしていたチームのことを口にした。
しかしeSuはかなり長い間廃れていた、そしていくつか新しいことがあった。
「ぼくはNukeにまる1年話をしていなかった。それにぼくはeSuが休止していたことを知らなかったし、今やNukeがSchroet Kommandの新しいwc3部門のリーダーであることも知らなかった。ぼくは当時SKの名前を聞いたことがなかった」
Nukeとの会話で、Insomniaは彼のゴールがSCでそうしたように、WC3での競争であることを主張した。
Insomniaは以前Nukeとチームを組んでいた、だからNukeはZdravkoの才能を知っていた。
「Jadが僕にイエスというまでに、そんなに時間はかからなかったよ。それでぼくはSKの愛国者になったというわけ、2年以上もね」

二年とは長い時間だ。しかしInsomniaは常に楽しんできたと言った。チームのムードは、彼がいうには、ポジティブだ。
「彼らの何人かはBloodWar時代から僕が知っていた人で、何人かはWC3のトーナメントで出会った人だ。彼らはみんなcool guyだよ。
僕は2カ月間3人のSKメンバとKoreaで暮らし、そこでぼくは忘れることのできない素晴らしい時間を過ごしたんだ。」
私は彼らのチームプレイヤの間に何らかの緊張関係があったかどうか知りたかった、特にメンバの二人がお互いにトーナメントでプレイするときなど。
「お互いにトーナメントで戦うことになって負けたとしても、別に僕らは憎んだりしないよ。それはWC3をやってれば時々起こる自然なことだしね」



11月29日(月)20:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | warcraft3 | 管理

WC3M Nov.final GRUB VS ZAC

gurbby vs Zacardです。
結果から言ってしまうとZacardの勝利です。
でも余り面白いゲームではなかったです。
中盤までにGrubbyのミスが目立った戦いでした。
まあ、恐らくはhost間でのlagが影響したんだとは思います。らしからぬミス連発でした。
明らかにユニット操作しきれてませんでしたしね‥
さて、決勝はZAC vs 誰でしょー



11月29日(月)09:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | warcraft3 | 管理

WC3M Nov.Final Zeus vs Zacard

熱い!
熱すぎ!
現在1-1です。
一戦目のLTでZeusは即セカンドするも押し切られ負け。
二戦目、ZacardのTRに素早く対応し、見事にTRを返すと、その後creepを牽制しあいながら、
再度のTRを背後から強襲。
見事に敵を返り討ちZeusの勝利。
第三戦目、ZacardはFSとGruntで分離creeping。
途中FSでカマをかけて、Zeusのcreepを阻害し、
Lv差をつける。ZeusはBeastMaster単騎だが、
案の定大量のshamanを用意され、完全に
summonを封じられて、負け。
Beast単騎の割に時間をかけすぎて
攻めるタイミングを完全に逸してた感じ。
2戦目のDH+Beastの方がまだ良かったか?

最後はちょっとイマイチでしたが、最近のZeusはそのポテンシャルの高さを存分に発揮しています。
この前にもSusiriaやFatCを倒していますし、
現在世界トップクラスのNE使いに成長したと
思います。
ある意味ではGrubby以上に韓国で躍進したプレイヤではないでしょうか。
ToDは今回不参加で残念です。彼も今やFatCやHeman, caraを越えたトップHMNプレイヤだと思います。
実際WCGで3位ですしね。

さて次はWCG以来の
Grubby vs Zacard!!に期待です。
果たして今度はどっちが勝つんでしょうか。
GrubbyがZacardを倒すのか‥それとも
Zacardのリベンジか。



11月29日(月)08:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | warcraft3 | 管理

WC3M Nov. Final SK.May vs Grubby

朝からWTVでWC3MのNov.Final
SK.May vs Grubbyを観戦してます。
いや、手に汗握る展開でした。
Grubby2-1MayでGrubがWinnersブラケットの決勝進出。
二人とも朝から頑張ってますね。
ベスト4が韓国プロゲーマーと4K in Koreaです‥いやはやちょっと欧州在住勢に
頑張って欲しいですね。
欧州勢で頑張ったのはFatCとapm70,
とりあえずlosers bracketから這い上がれるでしょうか?
ちょっときつそう‥



11月29日(月)07:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | warcraft3 | 管理

ソロとチーム戦

昔はこのゲーム、ソロはいいんだけどチームはなんかごちゃごちゃしてるだけで
つまらないねーなんて思ってたんですが、
ROCからTFT、パッチを重ねていくうちに、
非常に競技性が強くなり、ソロでは使えないユニットや戦術が、
チームでは使える、という風に上手く住み分けができてきました。

ソロはアイテム運による博打要素が減り、極端なユニットや戦術が減少してきました。
結果的に、マイクロ技能やユニット操作という操作スキル、
状況判断能力に重きが置かれるようになりました。
バランスがかなり煮詰められ、奇想天外なtacticsはほとんど出尽くしたため、
戦術勝ちが難しくなった分、本当に競技色が強くなりました。

逆にチーム戦では、マップのアイテムバランスなども
あまり煮詰められておらず、戦術も分担作業故に
さまざまな可能性に満ちており、なかなか予測が難しく
ソロにはない博打的な要素がある感じです。
ソロではまず不可能なプレイでも、チームならアリだな
というのがいい感じです。ソロほど操作能力に依存せず、ユニット編成やexpansionなどに
重きがおかれています。
ただ、チーム戦は最初にラッシュ行って
一国潰して終了というケースが多いため、
大味に感じることも‥

ま、今はソロでもチームでも面白いと思います。
しかし、ソロはレベルが上がっていて、初心者には
ちょっときついかもですねえ。RTS初心者にはほんときついかも‥



11月29日(月)05:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | warcraft3 | 管理

SK.insomnia interview pp.3

The Bulgarian Legend

しかしなぜ彼は最初にStarcraftをプレイしはじめたのか? 当然それが中毒性のあるゲームだったからだろう。しかし、既に言ったようにゲームの競争本能(competitive nature)が大きな要因だった。
「僕はStarcraftをプレイしはじめたのは、そのゲームが本当に好きだったからだし、僕はその才能をもっていたからね。ぼくはトップになりたかったし、すべてのトーナメントで勝ちたかった」
おそよ1年のプレイのあと、彼はようやくトーナメントに勝ち始めた。それから彼がトップSCプレイヤとなるのは時間の問題だった。
「だいたい7ー8カ月PCクラブで友達とプレイしたり、違う国のLAN大会に参加するためにちょっと国を渡ったり(europeは鉄道で国境超えたりしますからね)したあと、ぼくは遂にBattle.netでプレイするのに十分な通信環境を得たんだ」
ブルガリアの通信環境はベストとはいえなかった、それにZdravkoのようなハードコアゲーマーは500ping以下のコネクションを必要としていた。
「それでぼくはBNETでLadderの頂点目指してプレイし始めたんだ。ぼくにとってラダーのトップ20プレイヤーは世界のトップ20プレイヤーだったんだ」

彼はいまだに彼のスタークラフトキャリアとしての始まりを思い出すことができる。どうやってかれはトッププレイヤーに問いかけたのか?([o]utcast membersが一番彼になやまされた(?)):「どうすれば僕はあなたのクランに入れますか?」
今となっては、シチュエーションは変わり、彼が受ける側になり、毎日いくつかのクランから誘いを受けている。

そして、insomniaのビッグブレイクが訪れる。
そのイベントで彼はe-sportの殿堂へと登り詰める。
「ある日僕はKorean tournament(KBK)がBNET上でBNETのラダーとよく似たシステムで開かれるというニュースを聞いたんだ。
ファイナル進出のためのトップ128人のonline予選が開かれ、そしてKBKがトップ32のnon-korean全員に旅行費をだしてくれるということを」
「その当時ぼくはとてもゲームの調子がよく、最低でも予選トーナメント突破は確信していたよ。
だから、ぼくは予選に登録し、そこでKorean "pro gamer"と初めて遭遇したんだ。
その当時、ヨーロッパプレイヤはコンピューターゲームのプロとはかけ離れていた。
予選は数カ月間行われ、1999年の終わりまで続いた。そしてようやく僕はシーズンの終わりにラダートップ12のポジションを確保して予選を突破したんだ。それでぼくは韓国への最初の切符を勝ち取ったんだ」

Zdravkoの夢はついに現実となった。
コンピューターの向こうで、彼が成し遂げたことを、韓国に到着するまで彼は気付いていなかった。
「そこには、ほんとに僕の夢をかなえたような"Gosu"な人々がいたんだ」
彼はトーナメントではnon-Koreanで最高のトップ16に入った。(自分でいうのもなんだが、)素晴らしい!(Pretty impressive, if I can say so myself)

Insomniaは彼の最初の韓国への旅について詳しく語ってくれた:
「僕はホテルの部屋をtillermanと共有したんだ。けど、彼はChampion(TheMarine)に一回戦で負けたんだ。ファイナルの1、2カ月前にね、Grrr...
Thor, Maynard and Pilla(SCのプロの歴史を切り開いた人たち)はpro gamerになるためにKoreaに移ったよ。
僕は彼らがプロゲーマーになるために外国にうつった初めての人達だと思うよ。
彼らのうち3人はKBKのファイナルに参加してた。けど、最高順位はGrrrr...top32だった。
トーナメントが終わった後、その日に僕はKoreanプロチームからプロゲーマーとしてここに残らないかってオファーを受けたんだ。
僕はもちろん受け入れなかった。まだ16才だったし学校にもいってたし。
それに僕は家から遠く離れた外国で暮らすなんて想像もつかなかったよ。
けど、ぼくはまだこの男のビジネスカードを持ってるよ。もしこのような機会を再び得たときに、あの日僕が自分自身誓ったことを忘れないために」

Zdravko はこの誓いを忘れていなかった。それからずっとあとに彼は韓国に再び訪れ、同じマネージャーのもとで、madfrogやdominator, hemanらと一緒にプロWC3プレイヤとしてプレイした。

彼が韓国を訪れたのはこれが最後ではない。彼は韓国で開催された2001年のWCGでトップ8の成績をおさめた。Zdravkoは私にこのWCGのちょっとした話をおしえてくれた。
「Madfrogはこのイベントで僕と同じグループだったんだ。僕はbig stageで彼を倒したよ。
Hi!Frog」彼はもちろん次のWCG2003,WCG2004にも参加した。



11月29日(月)02:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | warcraft3 | 管理


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